陽炎の柩2009-11-10 03:34:00
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飛季はデイパックを取って、彼女のそばを離れる。テーブルに教科書やノートをひらき、持ちかえった仕事をする。
連休が明ければ、学校は中間考査一色になる。ほかの社会科教師の進み具合をうかがい、授業のペースを考えなくてはならない。中間が終われば、第一回実力考査もある。根つめた周期の問題製作には、飛季も駆りだされるだろう。
自分のクラスに、受験ノイローゼが出ないのを祈った。ストレスのはけ口で、イジメが起こるのは必至だ。あるいは、既に生贄は決まっているか。
昨今、教職に着けば、イジメやらなにやらに悩まないわけにはいかない。飛季は、負け犬根性で他人を殺す少年は理解できても、イジメはいまいち理解できなかった。そして、恐らくそれは当たり前だと結論を出している。なぜなら、イジメには理解すべき理由そのものがないからだ。
殴っても蹴っても、暴行という認識はない。のちの加害者のほとんどは、わざとらしいぐらいにおこなった行為をさっぱり忘れる。憎しみや嫌悪は愛情に匹敵するほど染みつく感情であるはずだ。なのに忘れるのは、イジメる行為が情の欠落した無邪気で無感覚なものだった証拠だ。
救いようのない無自覚の人間には、だれがなにをしても無駄だ。飛季はいじめが起きても無視するつもりだ。イジメられる生徒にとっても、それが一番マシだろう。
教師ほど一時的な存在もない。そんなものが救いあげてやっても、あとで困るのはその生徒だ。生半可な同情は、のちに害となる。もし、また別のことでつまずいたとき、手をさしのべられるのを待ちつづけてしまう。自分で這いあがることを覚えさせたほうがいい。這いあがれなければ、そちらの世界で暮らすか、とっとと死ぬかだ。残酷だとしても、飛季はそう考えている。