1 名前:
ノイズs(西日本)[] 投稿日:2009/11/03(火) 01:59:59.54 ID:VYlLfpEz ?PLT(12076) ポイント特典
日本人の墓、建築資材に 戦争避難「仕方なく」 盆と正月はお供え物 峨嵋洞地区
●迫る再開発、行き場なくす恐れ
人が擦れ違うのも困難な狭い道が迷路のように入り組む、韓国釜山市西区峨嵋洞
(アミドン)地区。足元に目を落とすと、「国分治之墓」「西山家之墓」などと刻
まれた日本人の墓石が、塀や家の基礎など、至る所に使われている。日本統治時代
(1910-45年)、ここに住んでいた日本人の墓石だ。なぜ、墓石が建築資材
になったのか。「日本人は気を悪くするだろうが、話を聞いてほしい」。西区庁(
区役所)の金敬煥(キムギョンファン)文化観光課長から連絡を受け、峨嵋洞に向
かった。
(釜山・甲木正子)
塀に埋め込まれた墓石、プロパンガスや植木鉢の台にされた墓石、階段の一部と
化した墓石。中には欠けて路上に放置されたままのものもある。
日本統治時代、峨嵋洞には日本人の共同墓地と火葬場があった。45年の終戦で
日本人は引き揚げ、墓地や位牌(いはい)だけが残った。そこへやってきたのが朝
鮮戦争(50-53年)前後に北部から避難してきた人たち。
「当時の避難民はお金も建築資材も何もなかった。父たちは簡単に家を造る手段
として墓地を利用した」。同地区の住民金昌福(キムチャンボク)さん(65)が
申し訳なさそうに語り始めた。日本人の墓は墓石を囲む2、3メートル四方ほどの
囲いがあるものが多く、囲いを柱にして屋根を張ると小さな家ができたというのだ。
家族が暮らすには中心部の墓石が邪魔になるので取り払い、階段や塀などに使った。
「決して日本人が嫌いだからではない。多くの避難民が生きるため仕方なくやった」
という。
以下ソースで
http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/busan/anaba/20091102_2087.shtml
「瀧尾儀作建之」と刻まれた墓石は、家紋とともに路上に放置されていた=韓国釜山市西区峨嵋洞
10 名前:
ノイズn(西日本)[] 投稿日:2009/11/03(火) 02:03:16.27 ID:8bt5q/+G
使っちゃっていいよマジで
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