心の薬2009-11-09 22:40:16
願兼悪業
shinsakuさんから、願兼悪業について質問を頂きましたので、
記事にさせて頂きます。
法華経法師品に
「薬王まさに知るべし。この人は、自ら清浄の業を捨てて、我が滅度の後に於いて
衆生をあわれむが故に、悪世に生まれて、広く此の経を演(の)ぶるなり」
この人は、とは、
釈尊滅後において、法華経を広める人々、いわば地湧の菩薩である我々の事です。
釈迦は三十二相八十種好と言う、
現代的に表現すれば、良家に生まれ、身分も高く、人々に尊敬され、
お金で悩む事も無く裕福で、見た目も美しく、人格も整っていると言う事が出来ます。
しかし、現実の私達の姿を見てみると、それとはまったく逆だと言っても過言ではありません。
それも、笑ってしまうほど、あまりにも見事に逆です。奇跡なほど真逆です。シツコイ!(笑)
私の友人の同志で、数年前に7000万円の家を建てた友人がいます。
彼は折伏をしようと、家を建てられたのは信心の功徳だと
周囲の友人に話しますが、友人は「あいつの家は元々金持ちだから、、」と
信心の功徳だという話は聞いてくれません。
彼は信心歴20年近いですが、折伏は奥さん一人だけです。
別に折伏の人数云々ではないのですが、もともと幸福な境遇に生まれると
御本尊の偉大さ、信心の凄さを周囲にアピール出来ません。
これでは、仏道修行の優等生、大菩薩にはなれませんね。
例えば、今の自分は病気、貧乏、で悩んでいるとしましょう。
それを周囲の友人等も知っている。
友人の中には気の毒だ、と思って色々と助けてくれたり
同じ境遇から、同苦してくれて、友人になる事もあるでしょう。
また、貧しさを馬鹿にしたり、見下す人もいるでしょう。
前者の場合、私達が仏道修行に励みながら、現実の悩みを解決するために努力・精進しながら、
人間革命・宿命転換が進み、功徳に満ちた生活を送れるようになれば、
培った友人関係から折伏に繋げられる事が出来ます。
後者は、貧乏や病人の仮面を付けた、仏の我々を馬鹿にしたり見下した罪によって
苦しみの境涯を味わいます。いわば逆縁です。
私達、地湧の菩薩は世間の人々と同じ苦しみを味わうからこそ、
人の痛みや苦しみを理解する事ができ、人々を救う事が出来る。
また、悩み苦しみに、もがきながら仏道修行を重ね進めて行くと
その、もがき苦しむ中で自ずと仏界が強固になり、苦悩が悟りに転じる事も感じられてくる。
智慧も豊かになる。
日常生活で生じる様々な現象から、自分が成長出来るチャンスを感じ取ったり、
自分の弱点も知ることも出来る。
そして、悩み苦しんでいた事が、総て功徳に変わる。
御書に
「法華経の名号を持つ人は一生乃至過去遠遠劫の黒業の漆変じて白業の大善となる、
いわうや無始の善根皆変じて金色となり候なり」
「一生乃至無始の悪業変じて仏の種となり給う」妙法尼御前御返事
「毒薬変じて薬となる妙法蓮華経の五字は悪変じて善となる」内房女房御返事
shinsakuさんのお話で
活動に励んでいる時は元気で、、、、、
そうですね、活動は同志・善智識と一緒にいる事も多いでしょうし、
菩薩界ですから、幸福感を味わえますね。
家に帰ると、現実の六道に引き戻される。
青年部時代、私も家で怖い顔をして待っている女房に会うのが恐ろしくて
帰路、お題目を上げながら帰っていました(笑)
あと「不安」という魔に喰い付かれていると、
いつまでも、その魔は誑かし続けます。
不安・マイナス思考は【 不信・元品の無明 】から生じます。
不信であれば、どれだけ題目を上げても、無明が仏性を覆い隠します。
それによって、智慧や功徳も生じません。
私達の仏道修行は、まず、自分の生命に隙あらば吸い付いてくる
魔を感じ取り、見抜き、除去する事が重要です。