【金天】
秋の空。秋の季節の神。西方の空。
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僕の住む築30年のこの木造の家には、かしこという名の猫が毎日の様に訪れる。透き通る様なパールグリーンの瞳が印象的で、毛並みが良くとても賢い猫。賢いからかしこ。僕はどこの街角であろうと猫と目が会えばいつも何かしらコミニュケーションを計ってきたのだけれど、ここまで賢い猫には他に出会った事が無い。空気を読む能力に長けていてこちらの状態を察知してくれるし、好奇心旺盛で部屋中を探索してまわるくせに大切なものをひっくり返したりするような事は今まで一度もなかった。昭和の気配を携えた曇りガラス越しに猫の影が現れ、ガラス戸の古びた木枠を小さくガリガリと引っ掻いて、ニャーオ(開けろ)と鳴くのがいつもの合図。開けるまで10分でも20分でもそうして待っている事もしばしば。制作中につき入られては適わないから今日はごめんな、と思っていても最後には根負けして戸を開いてしまうこともあった。(それでも製作現場の邪魔をしないのがかしこのかしこたる由縁だ。)窓を開け放す夏場には気が付けばいつの間にか部屋にいて、いつだったかは目が覚めた瞬間に顔が目前にあって心臓が飛び出る位驚かされたこともあった。(小さい心臓だ。)そのくせ一通り満足して家を出るときには呼びかけてもだいたいしれっとして何の未練もなく去って行く。あのつれない去り際こそが猫の魅力の神髄なのかもしれない。あれは一体なんなんだろう。(「かしこ」は手紙の末尾に添えるあいさつの語でもある。)近所には他にも何匹も猫がいて、何匹かコンタクトを計ったものの、他の猫は警戒心が強く、どんなに優しくそっと外に餌だけ置いたりしても決して常連になって心を開いてゆくようなことはなかった。その中でかしこだけは驚く程に平然と出入りするようになった。ここに引っ越してきて以来もう一年半ものつきあいになる。
はじめの頃は僕も煮干しや鰹節など熱心に餌を用意していたが、かしこは人懐っこく近所を歩くと至る所で通り往く人達に撫で回されているのをよく見かけ、僕の家の様な拠点を寅さんのように幾つも持っているようなので他所でご飯は存分に貰っているのだろう、(しかし飼い猫ではない様なのでそのどこにも依らずさすらう姿がまたいい。)僕が用意する餌には滅多にがっつくことはなく大抵二、三口食べては興味を失うので、殆ど餌を用意することはなくなった。かしこのお気に入りの遊び道具は僕が公園で拾って来た鳥の羽根に麻糸をつけただけのもの。ねこじゃらしの代用品だ。いつもは決して暴れたりしない上品なかしこもこの時ばかりは驚く程に俊敏な運動神経を発揮する。麻紐をつけて持ち手からの距離を稼いだのはかしこの動く速度が羽根を持つ僕の反射神経よりも上回っていて、「やられた」為だ。猫の身体能力というものはやはり凄いものがある。一度でいいから猫のからだになって踊ってみたいな。
ささくれ立ったり淀んだりした僕の心はかしこと居る時が一番癒される。思えばかしこと僕はどこか似ている同類なのかもしれない。今の僕の不安定さはきっと一過性のもので、僕もまたかしこの様にこの部屋を、この街を、振り向かないで去って行くだろう予感がする。今は情けないながらもきっと僕の性根は相当しぶとい様な気がする。そういえば僕の父も生前うちの愛犬チャチャ子には一番心を開いていたような気がする。
新しいところに引っ越したら、今度こそ庭の緑を投げ出さずにちゃんと手入れし続けたいと思う。そこにも何か猫や動物がやってくるといいな。手作り木工大好きやし、鳥が来るように鳥小屋なんか作るのもいいかもね。そう考えると左官の様に大きな道筋に関してはもちろんそうだけど、小さな日常の中でもまだまだやりたいことが沢山あるなぁ。まだ弟子入りが決まるかもわからない今の不安定な状況だけれど、なんとなく未来に希望を持ってもいいような、そんな気がした。