今、懐メロフェアをやっている。別に他人に押し付けるつもりはないから安心してほしい。
これまで、好きな曲を唄っている歌手の他の曲に自分から手をつけることは、ゴダイゴと久保田早紀さん以外はなぜかしなかったのだが、懐メロ強化フェアを名付けた以上、進撃せねばならない。
そして聞いた中で、新たにハマった曲。
太田裕美さん:『ドール』『赤いハイヒール』『最後の一葉』
庄野真代さん:『飛んでイスタンブール』
山口百恵さん:『ひと夏の経験』『いい日旅立ち』『プレイバックPART2』『秋桜』
……という結果になった。
どうであろうか、我ながらなかなかいいセンス……って、どれもそれなりにヒット曲なんだから当たり前だ。ああ、あの頃はよかった。ちきしょう。
さて、イラついた時は、大声で「♪バカにしないでよ!!」「♪勝手にしやがれ!」と悦に入って唄う。聞いていて、かなりスカッとするのだ。 彼女の唄い方も理由のひとつだが。
百恵ちゃんの場合は非常に有り難い。アルトだから、声の低い私でもそのまま唄える。とはいっても、少し高くなると、すぐ裏声になってしまうのだが。それは庄野真代さんも同じである。
太田裕美さんの場合は、無理だ。私はあんな可愛らしい声でなければ、音域も狭い。
そもそも私はカラオケに向いていない声質なのだ。しかも声はアルトしか唄えないから、ソプラノを売りにしているアイドルの曲なんぞ歌えるわけがない。
ゆえに、カラオケではいつも、やむを得ずキーをいくつか下げるという悲しい行為に出なければならないわけだ。それでも好きなのはやはり病気だろう。
その思いをせずに済むのは、ゴダイゴやジュリーだけである。
最近は、なぜか明るい曲調を求めているようだ。精神的余裕があるときは暗い曲を、ないときは明るい曲を求めるらしい。不思議だ。
ゆえに、久保田早紀さんの曲は『メランコリーのテーブルクロス』『ねじれたヴィーナス』以外は最近ちょっとご無沙汰になっていたりする。
理由はほかにもあって、自分の心のことだから大体見当がついているのだが、それよりも今は、ほっとさせてくれる方を求めている気がする。
さて、これから、ちょっと小説を執筆してこよう。気分を向上させるには創作が一番だ。
前に書いていて、中途半端なままの小説もラストスパートが残っているのだが、今は冷却期間だ。 相棒から時々「あの小説まだ?」と問いただされることがあるが、はぐらかしている。 サボってるなんて言えるもんか。
今考えているのは、完全にベルばらに感化されたものだが、規模が違う。
とりあえず書きたい場面だけ書いて、それから本格的にプロットを立てようと思う。
そうそう、邪馬台国を舞台にした小説もあるんだった。 まさかアイディアがこれほど出るとは思っていなかったが、全部書き上げる頃には、私はもうあの世だな。
「あの世」つながりで変な方向に飛ぶが、『最後の一葉』にハマったのは、これの歌詞に共感できるからだ。 目線が、病気の人なのだが、これを聞いていると、なんとなく、自分の寿命は長くないように思えてくる。
病気といえば、ベルばらファンの都合上、結核が即座に連想される。そうすると「結核で死ぬのも全然構わないな」と思ってしまうことが、最近、アンドレの視力低下ではないが多くなってきた。
オスカルのセリフを借りるなら「人は死期が近づくと、子どもにかえるというけれど」といった心境だ。 この調子では本当に私も先が長くないぞ。
心残りといえば、誰が999の、ゴダイゴの、久保田早紀さんのファン精神を受け継ぐんだ……ということだけだ。 この世代のファンの数なんて、たかが知れている。ベルばらはオールドファンの数が半端じゃないから、多分心配しなくてもいいと思う。
けれどどれも、先祖代々伝えていこうと本気で思っている人はどれくらいいるのか、心配になってしまうのだ、これが。
しかし、それだけで、残念ながら家族のために生きようは思えない。こんなやつに自殺を制止される人が哀れだな。いや、その私が人の自殺を止めている方が哀れなのかもしれない。
……生きる力が流れ出すってこのことか。 どんどん生きようという気力が薄れていくように感じる。
ああ、オスカルさまにぶん殴られそうだ。やめておこう。
正確にいえば、オスカルさまにあわす顔がない。生きる気力を失った私がいっぱしにファンだなんて、彼女を尊敬してるなんて、胸を張って言えるわけがない。
ごめんなさい、オスカルさま。アンドレ。
連日自分の意思を否定されたり踏み潰されたりしてばっかりで、希望が持てません。
私、シトワイエンヌにはなれないかもしれません。 踏み潰されても平民議員みたいに燃えることができない性質みたいです。踏み潰されたままの私です。あなた方の死に泣いてるくせに何を考えているんでしょうかね、私は。
皮肉なことに、死期が近づいていると考えると気分が楽になるというのは、ちょっとマズいのかも。