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    白州町ほっと情報局 水と森と人2009-11-11 12:02:25

    白州町から約40分 窪八幡神社の建造物は山梨県を代表する国指定文化財です

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    お出かけして見ませんか
    山梨県の文化財めぐり
    大きな欅も見ものです

    窪八幡神社(くぼはちまんじんじゃ)

    山梨市北にある。大井俣窪八幡神社のこと。社記によれば859(貞観1)年、清和天皇の勅により宇佐八幡宮(大分県〕から勧請、東国鎖護のため笛吹川の中島に建立、大井俣神社と称し、のち窪の地に移して現社名となった。
    現各社殿は室町時代(1393‒1573年)、武田信満、信昌、信虎、信玄らにより改築修理が行なわれ、様式手法上当時の特色を備えたもので、11件が重要文化財となっている。
    和様の国宝大善寺本堂(勝沼〕、宋(から)様の清白寺仏殿(山梨〕に対して、和様・宋様
    天竺(てんじく)様の手法が融台された折衷様式の遺構である。
    【本殿=ほんでん】
    祭神応神天皇、仲哀天皇、神功皇后。三間社流れ造りの社殿3社連結の十一間社の建て物で、中間にそれぞれ合いの間を置く。
    向拝はケタ行き11間(17・35〓)通しで、浜縁(向拝の階段の下の床)は3つになり、合いの間の部分は様で、木割りは繊細優雅。1400(応永17)年、武田信満の再輿
    【拝殿=はいでん】
    ケタ行き11間(22〓余)、ハリ間(5.49〓)、切妻造り桧皮(ひわだ〕ぶき。1557(弘治3〕年武田信玄が再建。内部には全く柱を欠き、むな木、短(も〕屋、種(たるき)を一体としてハリを補強する構造法をとっている。大面取り角柱上に、平面プランに対応する長さに変化ある舟ひじ木を置くなどあわせ考え、洗練された建築であることがわかる。軒に掛けられた鰐(わに〕口は面径約40〓中央に撞(つき〕座、周囲に3重の帯がある。子房外側の複弁の曲線は刻銘の時代と一致する。1553(天文22〕年の作で、1557(弘治3)年置箔(おきは
    く)の逸品
    【摂社若富八幡筥本殿=せっしゃわかみやはちまんぐうほんでん】
    祭神仁徳天皇。三間社流れ造り、身舎(もや〕は円柱で縁をめぐらす。軒は二軒二重繁棰(しげだるき)・妻飾り虹梁豕杈首(こうりょういのこさす)式。向拝柱大面取り(柱幅の9分の1)角柱、中間2つの手ばさみは雲紋付き、彫りは雄こん。架構はすべてが面取りである。全体の階調は本殿同様で、木割りは繊細優雅。1400(応永7)年の再建(「神社本紀」)、1500(明応9〕年、武田信昌の修補。
    【摂社若宮八幡宮拝殿=せっしゃわかみやはちまんぐうはいでん】
    ケタ行き4間(7・28〓)、ハリ間3間(5.46〓)単層入母屋(いりもや)造り。桧皮ぶき。正殿、拝殿の切妻造りに対して変化と調和を考量したもの。軒
    一重疎棰(まばらだるき〕真ぞり、構架角柱舟ひじ木式、破風(はふ)梅バチ懸魚(けぎょう)、きわめて簡素な建て物。1536(天文5〕年武田信虎の再建。
    【末社武内大神本殿,まっしゃたけのうちだいじんほんでん】
    祭神武内宿祢。一間社流れ造り、桧皮ぶき。向拝角柱、柱頭の虹梁木鼻の象形に目が現われ、身舎のひじ木は宋礒猪目(いのめ)付き実(さね)ひじ木を用い、木鼻の上の斗が天竺様、繋(つなぎ〕虹梁と身舎頭貫は一連の同一材で、木鼻は造り出しである。この社殿の絵様彫刻は優美な曲線を示し、木割りは雄大でよく整い、小規模の本殿建築の代表作。1500(明
    応9)年再建。
    【未社高良神社本殿=まっしゃこうらじんじゃほんでん】
    1500年の再建一間社スミ木入り春日造り、桧皮ぶき。向拝角柱大面取り(柱幅の8分の
    1〕。虹梁木鼻に天竺様皿(さら)斗を置く。軒は向拝一軒、身舎は二重、正面千烏破風に木連格子を用い、懸魚は猪目で上に鬼板を載せる。八幡神社に対する武内神と高良神とは同一神説と、武内宿祢と玉垂神との2神説がある。当社の2社並存は左右輔弼(ほひつ)の同功一体2神説によったものか。
    【末社比口羊三神本殿=まっしゃひめさんじんほんでん】
    境内の池の中島にある。田心姫命、滞津姫命、市杵島姫命の3女神を祭る。一間社流れ造り桧皮ぶき。1625(寛永2)年、国主大納言忠長の再建【神門=しんもん】1511(永正8)年、武田信玄再輿。惣(そう〕門とも呼ばれる四脚門で切妻造り、桧皮ぶき。木割りは雄大、構架は力強さを強調、室町期(1393-1572年)の雄こんな感じを起こさせる。石橋はそり具合、勾欄(こうらん〕、擬宝珠(ぎぼし)の形、梓頭の曲線、格ざ間などからみて、室町末期の名作で、小規模ながら日本最古の遺構。
    【鳥居=とりい】
    高さ7.88〓、幅5,88〓の両部鳥居。カサ木のそりと貫(ぬき)との配合、台輸との関連、あるいは両そでの木割り面幅などよくこの時代を現わし、1535(天文4)年、武田信虎再建の伝に合する日本最古の木造り鳥居である。1532(享禄5〕年在銘。笛吹川に面す。
    【如法経塔=にょほうきょうとう】
    安山岩製。現高1.4〓。基礎、塔身、カサの比率に均衡が保たれ、軒両端のそり増し、露盤の格はぎ間、屋根の曲線など室町時代の特色を表わし、全国的にも数少ない遺構である。<植松又次〉
    延喜式内社で、旧県社。徳川時代の朱印社領270石余り。<内藤正之〉
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