毅朗の「ゆめかた」ブログ2009-11-10 10:02:19
求めよ、さらば与えられん
「求めよ、さらば与えられん」
イエスキリストの名言で
僕も好きな言葉です。
実は同じことが、東洋でも言われているんですね。
中国の偉大な思想家、性善説の大家である孟子先生も
(性善説=人の本性は善であるという考え方)
こうおっしゃっています。
「仁義礼智の4つの徳は(仁=同情心、義=正義の心、礼=尊敬する心、智=判断力)
自分の心を外から鍍金(メッキ)して飾り立てたもの(いわゆる付け焼刃)ではなく
もともと自分の心に持っているものである。
ただ、これを人簿とあボンヤリしていて自覚しないだけのことだ。
だから、私が言うようにこれらの心の徳は、自分で求めさえすれば必ず得られるが
放っておけばついにはなくなってしまうものだ。
善と悪の隔たりが2倍となり、5倍となり、しまいには計算もできないほどにかけ離れてしまうのは
本性に違いがあるためではなく、
結局その素質を十分に発揮することができなかったからである。」
(小林勝人訳注:『孟子』岩波文庫)
さて、西洋と、東洋ときましたが
実は、日本人も言っているのですよ。
たぶん多くの方が、中学や高校でやった
「徒然草」、吉田兼好氏が書いた名著です。
<第三十九段>
「或人、法然上人に、
「念佛の時、睡りに犯されて行を怠り侍る事、如何(いかゞ)して此の障りをやめ侍らん」
と申しければ、
「目の覺めたらむ程、念佛し給へ」
と答へられたりける、いと尊かりけり。
又、
「往生は、一定(いちじょう)と思へば一定、不定と思へば不定なり」
といはれけり。これも尊し。
また、
「疑ひながらも念佛すれば往生す」とも言はれけり。
是も亦尊し。」
浄土宗の開祖である、法然上人の言葉を借りて示してあります。
重要な部分(赤字部分)だけ和訳すると
「この現世の命を終わった後、極楽浄土に往って、永遠の命を得ること。
それは、きっとできると思えば、きっとできるし、
出来るかどうか確かでないと思えば、不確かなことなのである。
だから、どうせだったら、疑ってでもいいから
念仏を唱えていれば、極楽浄土に往けるのです」
深いですね。
できると思えば、できる
できないと思えば、できない
だったら、つべこべいわずに、できると思ってやったほうがいいじゃん
というわけでございます。
言葉や、使う場所は違うけれども
世界中に、
「求めよ、さらば与えられrん」
という意味合いの言葉があることが
なんだか嬉しかったです。