
明石駅から明石公園を散歩しますと入り口に銅像があります・・
中部幾次郎氏・・
慶応2年に現在の明石市 林に魚の卸や運搬をしていた父兼松の次男として
生まれました
明治37年に明石から下関に移り、日本初のエンジン付きの漁船団を組み
大洋漁業(現マルハ)の前身となる林兼商店を創立した人です。
彼も故郷の明石を愛していて
明石中学校(現県立明石高校)設立の経費の半額を寄付したり
市水産会長を勤めるなど明石の発展に尽くした・・
とあります。
戦後の食糧難を解決するためにGHQと掛け合い、捕鯨の再開になんとか
こぎつけましたが、戦後初の捕鯨船団の出航を見送る事無く
昭和21年に亡くなりました。
誰なのかな?と思っていたら
大久保の安藤新太郎氏とならんで明石の偉い人だったのですね