前々から思っていたこと。昔の文学者のこと、苗字or名前の呼び捨てで呼ぶのはどうしてなんだろう。
「三島」とか「太宰」とか、呼ぶでしょう。
(まったく関係ないんだけど、今「だざい」って打ったら一発目に「堕罪」って変換された。合ってる気もするな、堕罪治。)
別にいいのだけども、おまえは三島由紀夫の友達なのか、という気持ちにちょっとなる。
そして、「苗字で呼ぶか、名前で呼ぶか」の選択について。
「太宰治」は、「太宰」。森鴎外は「鴎外」。「内田百閒」は、「百閒」。
まあ、どちらが選択されるかって、この場合は「珍しくて、個人が判定しやすい方」なんだろう。
しかし、「江戸川乱歩」は「乱歩」。「夏目漱石」は「漱石」。「芥川龍之介」は「芥川」。
「江戸川」も「夏目」も「龍之介」も、十分に珍しいという気がするけど…。
うーん、確かに選ばれた方が「より、個人が判定しやすい方」だから?
でも 「なんとなく、呼びやすくて締まる方」がフィーリングで選ばれてるような気がしないでもない。
こういうのって、誰が決めたんだろう? なんとなく? いつごろから「夏目漱石は漱石」になったんだろう?
ま、どうでもいいっちゃ、いいんだけど。
ちょっと前にNHKで「太宰と荷風」って並べてるのを見て、「苗字と名前並べてて、へんな感じ」って、思ったもので。
これを考えて以来、つい、「この文学の人は苗字と名前とどっちで呼ばれるんだろう」と考えてしまうのです。
「遠藤周作」は?「志賀直哉」は?
そういえば、あんまり「志賀」とか「直哉」って呼ばれるの、聞いたことないなあ…(不勉強なだけだろうか…)
「武者小路実篤」はどっちも凄い名前だけど、すわりとしては「実篤」かなあ。
それから、チョイスされなかった方の苗字or名前で錚々たる面々を呼んでみるのも、ちょっと面白いです。
「治が書いた人間失格」「由紀夫、割腹自殺」とか書くと、ちょっとまぬけになるのが不思議。誰だよ、という感じになる。
思いつくままに、チョイスされなかった方でいろいろ書いてみます。
「電車大好き、内田先生」「猫大好き、次郎」「じっと手を見る石川」「足フェチの安部」「桜の森の坂口」
なんか、変態をあつめたクラスって感じになってきた。
不勉強でこれ以上は思いつかなかったので、笑えるの、あったら教えて下さい。