






台南市のシンボルは
台南市民蘇仲民氏により1969年に設計された。
1978年に議会通過により正式採用となる。
意義については以下の通りである。
背景の赤い花はホウオウボクの花びらであり、鳳凰城を象徴する。
白字の上半部は「市」の字を表し、古城の中心線は方位磁石を表す。
白字の上半部及び中間部は「南」の字を表し、中間の絵柄は府城の将来を表す。
白字の下半部は「台」の字を表し、絵柄は船頭を表す。
市の花は
ホウホウカ及びホウオウボク、落葉高木。花序は穂状或いは釣鐘状に並んでいる。原産地はマダガスカルにて、1987年頃に台湾へ移植された。のちに台南市の花となり、鳳凰城の名で呼ばれる由縁となる
台湾で台南市の紹介
オランダ時代 1624-1662
オランダ人が台南を占領し、ゼーランジャ城(安平古堡)を建て、プロビンシア街(民権路)の最初の計画的に造られたヨーロッパ式の通りが開かれ、後に台南市街地の中心となり、プロビンシア城(赤かん楼)が建てられました。
清占領時代 1683-1895
明の鄭成功の承天府を台湾府と改め、四草砲台、安平小砲台を建て、イギリス商人が、安平に徳記、和記洋行を建てました。億載金城の砲台が完成し、赤嵌楼の清様式の建築が建てられ、台湾府は台南府と改められました。海は陸へと変遷し、昔は波がきらめいていた台江海岸は、大風雨が発生し、大量の河の砂が台江に流れ込んだため、千里の海は陸地になっていきました。何度かの修復を経ても、救うことはできず、優位性は失われていきました。
日本統治時代 1895-1945
日本軍が台南を占拠し、台南駅が落成し、洋行は完全に安平から撤退しました。地方裁判所が建てられ始め、台南庁舍(台南市役所)が落成しました。台南は台南市と改制されました。台南新運河が開通し、台南駅の改築が竣工しました。日本人は、思想を取り締まっただけでなく、台南の街の様相にも様々な工夫を凝らしました。古都台南は、日本人の手中で、次第に現代的な都市の雛形ができあがりました。
戦後1945年以降
台南市を省直轄市と定めました。全市は 7 個の行政区に分けられ、日本式の町名は廃止され、今の通り名に改められました。孔廟では修復が行われ、孔廟文化パークが計画されました。
300 年以上累積された伝統文化の髄が、台南を取って代わることのできない文化古都にしました。台南は、歴史文化の余韻に照らされ、再びよろよろと歩みを始め、各区の復原の作業を展開しました。
生態ある環境の特徴は
台南市では豊富なマングローブ湿地と塩田環境で、湿地に魚類や底棲生物が、水鳥に豊富な捕食環境を提供し、優れた鳥類の棲息地となり、種類豊富な鳥が棲息しています。シギ科、チドリ科、サギ科、カモメ科、カモ科を主とし、海岸沿いの防風林とスギナ林にコサギ、ゴイサギが棲息しています。木の下の草にはリュウキュウヨシゴイ、カササギやカワセミもよく見かける鳥です。
冬には、ダイサギとチュウサギが林でもよく見かけられ、タカサゴモズの渡り鳥もよく見かけられます。魚の養殖池や小池に悠々とするバンも棲息しています。これ以外にも、カモメが海岸沿い、港湾付近やカキ棚の上に立つ姿をよく見かけられます。カラシラサギ、トモエガモ、ズグロカモメ、セイタカシギ、ワキアカハイタカ、ホトトギスもこの地域に出没したことがありました。
例えある、
クロツラヘラサギ、コサギ、ダイサギ、ソリハシセイタカシギ...など。