縁でこの疎開したメンバーの内数人が剃髪して神に奉仕する道を選び ます。1946年10月に助祭に任命され、11月には司祭になります。そしてロー マに留学、さらに聖職者としての勉強を重ねました。 1948年にはJagiellonian大学の神学修士の学位を取得。その後同大での学生 の指導に携わる一方、Lublinのキリスト教大学でも教鞭を執ります。1960年 クラークフの司教補に任じられ、1963年参事代理となって、度々ローマにも 赴いて仕事をしています。 1966年クラークフ司教。そして1968年任枢機卿。(48歳) その後も国内外で様々な活動を行い、また多数の論文を発表しています。 コンクラーベの結果が発表された時、サンピエトロ寺院の前に集まった群衆 は最初「えー?外国人か?」と驚きと失望の声が半ばしますが、一人の中年 女性がマイクを取り「みんな何を言ってるの?同じキリスト教徒でしょう?」 というと、群集の声は歓喜の声に変わりました。 ヨハネ・パウロ2世の任法王後の活動は、ある意味でこの中年女性の声に象 徴されるようなものでした。その活動はカトリックの長という領域を越えて、 世界の平和のためのものでした。