今から二、三年ほど前、内田樹さんの著書を集中的に読んでいた時期があった。
内田さんの名前を知ったのは、「文藝別冊 大瀧詠一 −総特集 大瀧詠一と大瀧詠一のナイアガラ30年史」(河出書房新社)の巻頭対談を読んだ時。
対談相手がフランス哲学の研究者であり大学教授だと知って、最初は怪訝に思ったものだが、読んでみるとこれが面白い。
ファン丸出しの大瀧論を本人相手に熱弁する内田さんに、大瀧さんも少し引き気味な様子にさえ感じられた。
内田さんは大瀧さんの歴史観に大いに影響を受け、それをはばからず公言し、論文として発表さえしているのだという。
この対談自体とても面白いのだが、「こんな思想家がいるんだ」ととにかく驚いた。
それまで思想書、哲学書の類いは全くと言っていいほど読んだ経験がなかったが、ひょっとしたらこの人の書くものは自分の肌に合うのではないか、と思った。
そして何より、この人が書いた「大瀧詠一論」を見つけて読みたくなった。
そしてビレッジ・ヴァンガードで「子供は判ってくれない」という、心魅かれるタイトルの文庫本を発見し(書かれたポップが最高だった。「あーあ、ついに文庫になっちゃった」だったと思う)、それを即購入。夢中になって読んだ。
それから一気に刊行されている書籍を(共書も)買いあさった。文庫本になっているのは少なかったので、普段あまり買わないハードカバーで手に入れた。
読みやすい文体でありわかりやすく書かれている、とは思いながら、内容の難解さにくじけそうになることもしばしばあったが、それでも全て読破して、氏のブログもチェックするようになった。
最近は少しだけその熱も落ち着いたのだが、新刊が出るとやはり気になる。文庫になることが分かるので、ハードカバーでは買わなくなったのだが。
とりあえず新しい本を買っていないので、本棚から「村上春樹にご用心」(アル手ス・パブリッシング)を取り出した。
もちろん「1Q84」の余熱が冷めやらなかったためでもあるが、ふと内田さんの文章を読みたいと言う気になったのだ。
思えば、内田樹さんを決定的に信頼するようになったのは、氏が村上春樹さんを強く支持していることを知ったからだと思う。
これも、思想家が村上春樹を?と大瀧さんの時と同じように怪訝に感じ、そして文章を読んで驚き、その愛情深さと分析の鋭さに感銘を受けたのだ。
この本は、ブログの中から村上春樹に関する日記を集めたものである。だから当然村上春樹の話題だけ、という訳ではないのだが、そのお陰でかえって読みやすいし、この人がいかに一貫して村上春樹という作家を支持し、またその批評にも一貫性があるか、という事がしっかりと伝わってくる。
「村上文学は一つの『宇宙論』だと私は思っている。『猫の手を万力で潰すような邪悪なもの』(『1973年のピンボール』)に愛する人たちが損なわれないように、『境界線』に立ち尽くしている『センチネル(歩哨)』の誰にも評価されない、ささやかな努力。それを描くのが村上文学の重要なモチーフの一つである」(「ノーベル文学賞受賞のバーチャル祝辞」 より抜粋)
ここに書かれた村上文学についての考察は、村上春樹の小説を読む時に大きな指針になると思う。
もちろん文学の受け取り方は人それぞれなのだが、これを念頭において読むことで、絶対的に読書体験の感動度が高まる。
それは村上作品のファンだと思っていた僕自身が実際に体験したことであり、楽しみ方がやっと分かったと感じられたことだから請け負う。
「雪かき仕事」という言葉が響き出したのも、勿論村上春樹さんが作った言葉だが、そこに焦点をあて見事に解説してくれた内田さんのお陰である。
大瀧詠一と村上春樹を愛する思想家が好きだというのなら、「冬ソナ」だって見てみようかな、という気がしないでもない。