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    オーバー・ウェイト!2009-11-14 18:44:07

    保鏢 2

     荷車に差さしてあった“南京鏢局”と大書きされた二本の鏢旗が、突然の疾風で音をたてて身をくねらせた。それに呼応したのか、一拍遅れで砂塵が巻き上がり玉鈴たちの視界から透明感を奪い取っていった。
     武昌の街を越えた辺りから、時々突風が吹くようになっていた。
     玉鈴が保鏢の一行と共に、居住地である南京を出立したのは三週間以上も前のことである。向かうは四川省、成都。馬を使っていても二か月以上はゆうゆうかかる距離である。 途中、遠回りであったが上海へ立ち寄ると、こたびの仕事の依頼主であり回漕業などを営む上海商人から荷駄を受け取った。そのとき荷物と一緒に一人の男が店主の代理を兼ねついてきた。
     沙淘紀である。
     玉鈴と同じく保鏢によって生計を立てている人間であった。だが淘紀は、保鏢といっても玉鈴たちのように不特定多数の人間から仕事依頼を受けるような保鏢ではなく、店主に抱えられた、いわばその店専属の一匹狼的な用心棒である。それに対し玉鈴は、鏢局といわれる職業武術家がおこなう、主に護送業を専門とする集団に属する保鏢であった。
     業務の内容が内容だけに保鏢の仕事は、常に身を危険へさらす覚悟がいる。とうぜん、腕に覚えがなければ務まらない。ゆえに在野の武術家が鏢局を開くのが一般的であり、自分の弟子や同門派の友人、または同郷人の武術家などと業務をおこなっていた。
     玉鈴もそういう系統の一人である。だから普通は気が置けない者ばかりが集まることとなるのだが、今回は見ず知らずの人間の淘紀と同伴しなければならなくなった。それも店の用心棒を務める男だ。
     このようなことは珍しいことである。店の人間が荷に付き添ってくることはよくあるが、わざわざ玉鈴たちの鏢局へ仕事の依頼をしておきながら、さらにまだ自分のところで雇っている保鏢までつける。これは玉鈴たちを信用していないといわんばかりの態度でもある。 店主の言い分によればこの淘紀という男は、普段は店主の護衛をしているが学は深く、頭も切れ、弁舌もたくみなのでなにかあったときには役立つだろうということであった。
     淘紀を付けてくれることは店主からの好意とも取れる。それに淘紀の武技の腕前はいかほどのものか計り知れぬが、少なくとも自分の身ぐらいは自分でなんとかできるであろうから、武芸の覚えのない商人のように、いざというおり足手纏いとならなくてすむ。とはいえ、玉鈴たちには消し切れないしこりの残る旅立ちとなってしまったことも事実だった。
     それが先を急ぐ一行の周囲を取り巻く空気にもよく表われていた。重いのだ。ーーなんとはなしに重い……。
     人という動物は敏感な生き物である。だれかが心の片隅に不快感を持てば、それを他人が察知してしまい、その人をも不快にしてしまう。そしてそれが全員へ伝染してゆき、全体の雰囲気をよどんだものに変えていく。
     仕事がら、常時神経をすり減らす思いをするのは止むを得ないのだが、そこはみんな本職である。周辺の警戒と注意を怠らずとも、それはそれなりに息を付く場を心得ている。弛緩のない精神など有り得ない。長時間の緊張と緊迫に、人間の精神はもつようにはできていないのだ。それがこの重たく漂う空気のせいで、心の安定をひどく阻害されているような気になってしまう。
     もともと口数の少ない玉鈴だったが、こんな状態ではそれがいっそう増加する。さらにこの自分のおこないが、自身の居心地の悪さを助長してしまっていた。
     こうした日々が上海を出てからずっと続いている。跨がる馬の手綱を握る玉鈴の左手にも、知らず知らずのうちに余分な力が入り、それが疲れとなってきているのか、肩から腕にかけてけだるくなってきていた。
     それでも玉鈴は、なおも左手一本で馬の動きを制した。
     右利きの玉鈴は右手で剣を抜き、槍を捌くときには軸腕とする。それだけに右手は重要であり、できるかぎり自由にしておかねばならなかったからである。
     保鏢である以上、いつでも戦う準備だけは怠るわけにはいかなかった。怠れば賊徒に襲われたとき、真っ先に死ぬのが自分となりかねない。
     およそ保鏢などという職業は、まっとうな仕事とはいえなかった。少なくとも、世間の目はそう見る。役者や娼妓、占い師などと同類の卑しい職業の九流であると……。ましてや自分は女である。女の身で保鏢をしているなど、実際におこなっている自分以外他に見聞きしたことはない。それだけに玉鈴は、珍奇の対象として好奇のまなざしを向けられることがよくあった。だからといってそんなことをいちいち気にかけるぐらいならば、初めからこんな仕事をやりはしない。それに、これはこれでいまの世の中には必要な仕事なのであった。

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