1.中華麺伝来
日本で最初にラーメンを食べたのは
「控え居ろう、この紋所が目に入らぬかー」の
であるそうだ。
ちなみに
初代水戸黄門役の東野英治郎と初めて面会した時は、直立不動の姿勢となり、
思わず
らしい。
1659年、5代将軍綱吉(犬公方)のころ、
明から長崎に亡命した儒学者の朱舜水(しゅ しゅんすい)が
大日本史編簒のため水戸藩に招かれた際に、自分の国の汁そばをふるまった。
『日乗上人日記』には
【うんどんのごとくにていろいろの子をかけたるものなり】
と残っている。
それは、藕(はすのね・蓮根の粉末)を練り込んだ麺、
スープは豚や鶏を用いて炊き上げ、
五辛「ニンニク、ニラ、ラッキョウ、ネギ、ショウガ」薬味をかけて食すもの
であった。
倉敷作陽大学の小菅桂子氏の説によると
そのとき光圀がラーメンを食べたらしいが、推測の域を出ない。
またこの中華麺が広く庶民にまで広まることはなかった。

写真:当時の資料を参考に再現した水戸藩らーめん。有限会社川崎製麺所より
2.ラーメンの誕生
明治時代になり中華麺が日本に浸透しだしたときの名称は
といった。
南京といっても「中国の」あるいは「外来の」程度のニュアンスで、
都市としての南京市を指すものではない。
同じニュアンスなのかもしれない。

写真は函館で復刻された南京そば
1884年(明治17年)4月28日、
函館新聞の広告に函館船場町に開店した華僑の経営による洋食店、
「南京御料理 養和軒 アヨン」「南京そば15銭」の記載がある。

なお、
アヨンは
養和軒のオーナーの名前である。
1910年(明治43年)ハレー彗星が近づき、
横浜税関に勤めていた元役人(52歳)が
日本初となる店舗を構えたラーメン専門の中華料理店
「来々軒」が東京の浅草に開店。
豚骨に鶏ガラを加えた関東流の濃口醤油のスープ。
焼豚・シナチク・刻みネギを乗せた支那そばが
という庶民的な値段も手頃で連日行列ができる人気となったという。
一方、1926年(大正15年)、
現・北海道大学正門前の「竹屋食堂」の
肉絲麺(ロウスーミェン)は中国人留学生には人気があったが、
当時の日本人には
そこで、なんとか日本人の口に合わないかと改良し、
焼き豚、シナチク、葱を入れた麺類を提供した。
日本人はこの料理を
と呼んだ(中国人への侮蔑を含んでいる)。
そこで、竹屋のおかみさんが、
この料理の呼び名を
にしたらどうかと提案し、
その瞬間に
の名が生まれたという。
なお、
横浜南京街では焼き豚、シナチク、葱を入れた
今日のラーメンの原型(南京そば)ができていたし、
浅草来々軒でも同様のメニューがあった。
したがって、
小菅桂子氏は全国各地でラーメンは生まれるべくして生まれたもので、
竹屋のラーメンは命名のいきさつがたまたま記録に残っていたものであったろ
うと推察している。
1925年(大正14年) 喜多方「源来軒」、
1937年(昭和12年) 九州に「南京千両」、
東京・錦糸町に屋台『貧乏軒』(後の『ホープ軒本舗』)開業。
ほか 銀座、京都、飛騨高山にラーメン店が開業、
ご当地の元祖にあたるラーメン店は、多くはこのころに開店した。
==つづく==
参照:Wiki、ラーメン事始、
北国ラーメンものがたり、中華そば 大貫本店HP、Laimin Takeya