上杉定実ですが、彼は本来は上杉家の人間ではありません。
上杉家に適当な後継者がいなかったため、上条家出身の彼が上杉房能の養子と
なって一時的に上杉家を嗣いでいました。ところがこの定実が天文19年(1550)
に亡くなり、またまた適当な後継者がいなかったため、景虎が足利将軍家の命
により暫定的に越後国主の任を負います。
ここで房能のはとこに当たる上杉憲房の子の上杉憲政が一応関東管領を嗣いで
関東方面にわずかとなった所領を持っていましたが、永禄元年(1558)とうとう
支えきれずに景虎を頼って越後に逃げてきました。そこで景虎は憲政の一族の
保護と上杉家の所領回復に努力する代わりに、上杉家の家督と関東管領の職を
譲り受けることになり、永禄4年閏3月16日、鎌倉の鶴岡八幡宮にてこれを受領。
長尾景虎をあらため上杉政虎(うえすぎまさとら)を名乗ります。
以降、上杉の家督はのちに景虎の甥の景勝が嗣いで、その子孫が幕末まで保持
することになります。元の藤原流上杉氏はこの先、歴史の舞台から退場します。
なお長尾家は古代に活躍した東漢(やまとのあたい)氏の子孫といわれています。
なおさきほどから景虎=謙信を晴景の弟(妹?)と書いていますが、実は謙信に
ついては、昔から女性説も根強くあり、論拠を聞くとあながち妄説ともいえな
いように思われるので、それを考慮してこのような書き方をしております。
巴御前などの例をあげるまでもなく、勇壮な女性は昔からいましたし、上杉
神社に残っている謙信が着ていた服というのが、とても男性が着た服には見え
ないなどといった問題もあります