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    火山の独り言2009-11-11 10:55:19

    「運命」克服のカタルシス!ベートーヴェン「悲愴」を「名曲探偵・アマデウス」に観る。

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    ハイビジョンが音楽の世界を大きく広げてくれた。「名曲探偵・アマデウス」!10月3日(土)正午。再放送だが、火山が観るのも2度目だ。「ピアノ・ソナタ」第8番・ハ短調<悲愴>はベートーヴェン27歳の作品。ピアノ・ソナタの常識を破る実験的な試みがいくつもある。「美しいものにするためなら破りえない規則などはない」‒‒。22歳のベートーヴェンの言葉。<悲愴>はグラーヴェ(重々しく)と指定された序奏でいきなり始まる。

    第一主題はアレグロ。序奏のグラーヴェから一転、緊張感、あせりさえ感じられる「ハ短調」!当時の聴衆は<短調>の次の第二主題には自然に<長調>と期待する。だがベートーヴェン。「ホ短調」で応える。聴衆は「この曲は尋常なものではない。作者の何か深い想いが秘められている」と予感するという。「希望に満ちた上り坂に、突然、運命が襲いかかって来る」‒‒。ピアニスト・仲道郁代さんの言葉。麗人の口からこぼれると、思わずジンと来てしまう。「奈落の底に落ちる」!ベートーヴェンには葛藤があった。

    1797年、ウィーンで27歳を迎えていたベートーヴェン。実はこの頃から耳の異常に気づいていた。<難聴>!音楽家にとっては致命傷にもなりかねない。ベートーヴェンは黙秘。だが1801年、31歳の時、親友の牧師アメンダに打ち明ける。「僕はそれを隠していた。誰にも言わないでくれたまえ。僕の一番大切な部分、聴覚がひどく衰えたのだ」‒‒。

    1793年、前途有望なボンの宮廷楽師として、ベートーヴェン23歳はウィーン留学を許された。9日間の馬車の旅。11月10日頃、ウィーンについたベートーヴェンは師ハイドンの紹介で、リヒノフスキー候の家に寄宿する。ウィーン名門のヴァルトシュタイン伯の有形無形の支援が上流階級の人々との交流を促し、ウィーン貴族の寵児となる道を歩み始める。

    ベートーヴェンには強力な武器が二つあった。一つはボン時代にオルガン奏者として身につけた<即興術>!もう一つは、ボン時代の恩師ネーフェから学んで完成させていたクラヴィコードの<レガート奏法>と<カンタービレ奏法>。この頃のウィーン、2年前、35歳で世を去ったモーツアルトに代表される伝統的な<チェンバロ奏法>が流行していた。「音の均質さ、響きの清澄さ、軽快な速度」‒‒。それは「真珠を転がすようなスタッカート気味のエレガントな奏法」。だがベートーヴェンの生み出す響きは<新鮮>だった。

    「モーツアルトの演奏は見事だったが、ポツポツと音を刻むようで、レガートではなかった」(平野昭「ベートーヴェン」新潮文庫・23頁)。ベートーヴェンは17歳の時、2週間程度だがウィーンに旅行した。その時、モーツアルトの演奏を聴き、後年、弟子となったチェルニーに、印象を語った言葉。この時、2人が出会い、モーツアルトが「彼に注目したまえ。今にきっと世の話題になるから」と語ったというエピソードは有名だが、残念ながら、確実な証拠は残されていない。

    「即興演奏は与えられた主題を音形変奏してゆくか、次々と新しく美しい旋律を継いでゆくのが当時の流儀。ところがベートーヴェンの即興は、ソナタ楽章やロンド楽章仕立てで、主題動機の展開をもった構築性が追求され、時には幻想曲風の自由形式で、しかも構成感を併せ持ち、華麗な技巧的パッセージを織り込んだものであった。変奏は圧倒的な情熱と感情表現を持って行われる」(平野昭・38頁)‒‒。ベートーヴェンは貴族の邸で開かれた即興競演で、ウィーンの名ピアニストをことごとく打ち破って行った。だが‒‒。

    ここにもベートーヴェンの葛藤があった。当時のウィーンでは、自分が作った曲をピアノ演奏するだけでは<作曲家>としては認めてもらえない。交響曲やオペラを書いて、成功させることが絶対条件。そこにベートーヴェンの目標があったのだ。だが<難聴>‒‒。

    当時のベートーヴェンの心境を描くとされるのが、有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」。火山も2度目のウィーン訪問の時、ベートーヴェンの散歩道を歩き、遺書を書いた家を訪ね、遺書を見た。「私は喜びをもって死に向かって急ぐ」「財産相続はどうか公平に」との文言があるが、「自殺の意図で書かれたものではない」が現在の定説。「牧人が歌うのを人が聞いて、私には聞こえなかった時には、あわや自殺しようとしたこともある。しかし私の芸術だけがそうした思いを引き戻した」とも書いてあるのだ。

    <悲愴>で多用される<減7>の和音。アレグロが続く。悲愴、あせりが高まる。だが第二楽章の「アダージオ・カンタービレ」(緩やかに、歌うように)は「癒しの音楽」‒‒。「悲愴が重いほど、克服した時のカタルシスも大きい」。「僕の芸術は貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない」と「名曲探偵アマデウス」は続ける。

    「ハ短調は<破綻>の短調」‒‒。アマデウスも面白いことを言う。だが<ハ短調>とはベートーヴェンにとっては特別の<思い入れ>のある「調性」‒‒。そう、あの「交響曲」第五番<運命>も<ハ短調>なのだ。

    9月30日(金)、高校のクラス会が銀座であった。母校の名士、金持ちだけが加入できる、会員制>クラブ。火山も「久しぶりに『若き血に燃えるもの…』と声高らかに歌った。なんと<40年ぶり>の再会!だが不思議なもので、乾杯が終わった途端、高校時代に戻ってしまった。ワイワイガヤガヤが始まった。火山、意外にも人気者。あちこちから声がかかった。だがビックリ。同級生の一人。今も超イケメンのM君。ピアノが大好き。今もベートーヴェンのソナタ全曲と格闘中。「名曲探偵アマデウス」<悲愴>を観た。意気投合!
    (平成21年10月3日)
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